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| コロンビア河口にかかるアストリア橋。 全長4.2マイル、6930m。国道101号線がそのまま橋となっている。因みに無料。向こう岸はワシントン州、手前はオレゴン州のアストリアの街並み。写真左手側の海が太平洋、川はこの写真では右から左へ流れている。 |
アストリアといえば:
19世紀には最後のフロンティアとして有名であった。 19世紀初頭に、ルーイスとクラークというアメリカ軍人の将校に率いられた約50人ほどの探検隊がアメリカ大統領の命令で、ミシシッピー川を遡り、ロッキー山脈の分水嶺を越えて西海岸を大陸側から到達した。その最後の海岸がアストリアである。1804年のことである。その後、このミシシッピーからのルートは、『オレゴントレイル』として有名になる。土壌が肥沃なる地オレゴンへ、40万人もの人々の移住が幌馬車と共に始ったのである。ポートランド近辺にはオレゴントレイルでやって来た人々の登記所があったが、オレゴントレイルの最西端はアストリアと言える。
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| アストリアコラムという記念塔で、この塔内部の螺旋状階段164段で最上部に到達。 大コロンビア川と太平洋が望める。 |
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| アストリアにはこのようなビクトリア調の住宅が多い。これは博物館。 |
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| コロンビア川というより湾沿いの、こ洒落たお店 |
日本での最初の英会話教師
19世紀半ばのアストリア砦で生まれたのがこれから紹介するラナルド・マクドナルドである(1824-1894)。 父親はハドソンベイ・カンパニーの中心人物の一人。 母親は地元インディアン・チヌーク族の酋長の娘であったが、ラナルドを出産してまもなく死亡。
彼は早くから日本人こそ、母親の祖先だと思い、憧憬の念をいだいた。1848年、24才のとき、捕鯨船員として渡海、日本の利尻島に偽装漂流して入国。密入国者として松前から長崎へ送られる。しかし彼の誠実な人柄と高い教養をみとめられ、長崎奉行の肝いりで、西山郷に英語教室を開いている。期間は半年ほどであったが、森山栄之助を含む14人の日本人に英会話を教え、我国の対外交渉に大きな貢献をした。 この森山栄之助が後にペリー来航での『英語』通訳をしたことは有名である。森山という通訳がいなければペリーの交渉(彼は通訳を連れていなかった)は不可能出あったかも知れない。
帰米後、アメリカ議会に「日本社会は法治国家であり、日本人は礼節正しく民度も高い」といった、彼の陳述書が提出された。
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| アストリア市内の住宅街にひっそりと、19世紀半ばのアストリア砦が部分的に復元されている。そのそばにラナルド・マクドナルドの碑がある。 | アストリア橋近景 | |
さー、私の長い旅の始まりだ、次はコロンビア川の河口から48マイル(約80キロ)の地点にあるLogview橋あたりから、ポートランド近辺(河口から96マイル、約160キロ)までをご紹介。
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俳優中井貴一さんが、結婚披露宴を挙げたことで有名になったウィラメットビンヤードワイナリー。吸い込まれそうな、緑の丘の上で、優雅にワインを楽しんだ後は、オレゴン州最大のアウトレット、ウッドバーンでショッピングを堪能。極めつけは、廃校になった小学校を地ビール工場兼レストランにしてしまったという、なんともユニークなケネディースクール

ポートランドでも、このお店でしか飲めない地ビールは、試してみる価値あり。









